明治維新で活躍した人たちの聡明さはどこから来たのだろうか、未来人なのでは?とか思ってます。
どうも、聡明という言葉から一番遠くにいます。ノスクちゃんです。
前回は戦国・江戸ということで、かたづけのプロ・こんまりさんによって城が片付けられたところで終わりました↓
というわけで、徳川幕府の一国一城令によって城が激減したのですが、前回のまとめです
- 信長の理念を秀吉は受け継ぐ
- 家康による合理的な築城
- 江戸幕府の条令により城衰退
城が衰退していく中、果たして巻き返すことができるのか―?
巻き返すどころか・・・
廃藩置県によって城は役割を終えます。巻き返しならず!!!
以上です。
うそうそ、まだ終わらないよ、もうちょい書かせて笑
廃藩置県によって、城主である大名たちは東京に住むことになり、城は役割がなくなります。
そこで、陸軍が軍事施設として使おうと目論む(在城処分)のですが、それは一部の城だけ。約200あまりの城が廃城処分となりました。
しかも、在城処分といっても、軍事利用が目的なので、豪華に見せるだとか居住だとかの用途は必要ないわけで、
そのため、天守や櫓などは取り壊されました。
また、この当時は「文化財として保存する」といった考えは皆無だったようで、廃城処分となった城の多くは取り壊されます。
明治政府はきっとミニマリストだったんですねー。知らんけど。
というわけで、こんまりもびっくりな明治政府のかたづけにより、城はさらに衰退します。
もはや絶滅危惧種の城たちに、さらなる追い打ちが―
城が少ないです。
城を保存しようという動きもありましたが、誰も城を建てようと思わないわけで笑
衰退する一方です。
それでも、1940年代には20棟が残っていました。
ここに、大きな追い打ちが来てしまいます。
第二次世界大戦です!
1945年の空襲で、
- 水戸城
- 大垣城
- 名古屋城
- 和歌山城
- 岡山城
- 福山城
- 広島城
これら7棟の天守が焼失・倒壊しました。
その後、松前城が1949年に失火で失われたため、現存する天守は
- 弘前城
- 松本城
- 丸岡城
- 犬山城
- 彦根城
- 姫路城
- 備中松山城
- 松江城
- 丸亀城
- 松山城
- 宇和島城
- 高知城
の12棟。現存12天守と呼ばれます。
まとめ
江戸時代になったころには数千あったと言われる城がここまで減るとは、さみしいですね。
ただ、現在では復元された天守も多くあるので、見られる城は12以上ありますよ~。
というわけで、まとめです
- 明治政府や陸軍による廃城
- 第二次世界大戦による焼失
以上でーす♪
参考文献↓
図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて (サイエンス・アイ新書)