【1番簡単な日本建築史】寺院建築の歴史④ ~浄土信仰の盛行~|平安後期

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寺院建築

昨日自分のブログを見返したことで、中途半端に止まっているシリーズを見つけ、ネタ不足から解消された気がしています

どうもこんばんは、ノスクちゃんです

↓前回の記事はコチラ(3か月前)

ざっとあらすじを説明すると、

  • 最澄と空海が密教という仏教宗派を広めました
  • 密教とは、山上にお寺を建ててそこで修行をし、悟りを開くとうい仏教です
  • 山上にお寺が建てられるため、これまでのような整然とした伽藍ではなくなります
  • 内と外に厳重な境界を敷く宗派で、お堂は内陣外陣に分けられます
  • 多宝塔が特徴です

こんなところですね。では、今回はその続きです

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唐文化の衰退

↓コチラの記事にも書きましたが、平安時代、唐文化が衰退していきます。(見なくても大丈夫です)

唐文化衰退の理由は遣唐使の廃止。理由には、唐が衰退していたことや、単純に行くのが危なかったことなどがあげられます。

唐文化が衰退すると、日本は独自の文化を発展させます。そんな流れの中で仏教も、日本独自に変化していきます

仏教をもっと一般的に

日本化の流れの中で国民はもっと一般的で親しみやすい、安易な仏教を求めるようになります。

そこで繁栄したのが浄土信仰でした。理由はその手軽さ。浄土信仰は、「ただ念仏を唱えて阿弥陀にすがることにより極楽往生できる」というから驚き。唱えるだけなら手軽ですよね

こうして、浄土系の宗派が日本に広まっていきます。

浄土系の寺院はどのような特徴がある?

建物の特徴として、「極楽浄土をイメージしている」というのが一番にあります。いわゆる天国ですね。

そのため、伽藍内にはがあったり、建物も繊細優美というのが特徴的です。

また、建てられた場所も、密教の時のような山上ではなく、大衆化による利便性を考慮して平地に建てられることが多かったようです。

まとめ

まとめると、

  • 唐文化の衰退
  • 浄土信仰と仏教の大衆化
  • 極楽浄土をイメージした繊細優美な建物
  • 大衆化による利便性を考慮し平地に建てられる

こんな感じ。

次回は鎌倉時代です~↓

寺院建築の歴史①~⑤まとめ↓

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