実家に帰ると丸一日ゲームをしてしまいます。気づいたら夜。気づいたら3日も経ってる。とかザラです。あそこだけ時の流れが違います。
どうも、実家は竜宮城です。ノスクちゃんです。
寺院建築の流れをサーっと紹介しております、『寺院建築の歴史』シリーズです。
「寺院建築の歴史なんて興味ある人なかなかいないのかなー」とか思いますが、これを知ってると日本人に根付く思考とかアイデンティティとかわかるかもなのでおすすめです。(知識は多角的にね)
でもまあ、そんなのこじつけです笑。ぼくは日本人の根底がどーたらとか知りません
結局のところぼくはこういう話が好きなので、気が合う人に紹介したいとか、仲間を増やしたいとか、気が合わない人にも認知はしてほしいとか、そんなことを思ったり思わなかったりしながらやってますので、世界のみなさんどうかよろしくお願いいたします。
前回のおさらい
前回は平安時代後期の話でした。この辺の時代の仏教の何とも言えない緩さ加減が好きです。
簡単にまとめると、
- 唐文化の衰退
- 浄土信仰と仏教の大衆化
- 極楽浄土をイメージした繊細優美な建物
- 大衆化による利便性を考慮し平地に建てられる
こんな感じ。もっとまとめると、あの世をイメージしたキレイな寺院が庶民向けに建てられました。です。
もっともっとまとめると平等院鳳凰堂であり、10円玉のオモテです。たぶん。
超絶余談ですが、硬貨のオモテウラって「数字がある方がウラ」だと思ってましたが、調べたところ「年号のある方がウラ」だそうです。五円玉は数字と年号が違う面にあるから、数字のある方はオモテになるんだって。1つ詳しくなったね。どうでもいいけど。
時代背景
平安時代が終わるころ、源氏と平家の争い、源平合戦が始まります。(弁慶とか義経とかが活躍する戦い)
結果として源氏が勝利し鎌倉幕府を開くことになるのですが、そんな源平合戦のなかで南都の焼き討ちにより、奈良の大寺院が燃やされてしまいます。
戦争とか、災害とかで被害が出たときって、復興が進まないと「おいおい政府、仕事しろよ。なにやってんだよ」みたいなことを言い出す人とか出てくるじゃないですか。それで政府の人気が下がったりして。
幕府を開いたばかりだから、なんとか平和になりましたアピールをしなきゃいけない。しないと何言われるかわかんねー
ってことで、焼き討ちになった大寺院の復興を推し進めようとします。
ここで大きな問題が。
戦の直後でお金がないのです。
お金がないのに大きなお寺を建てなきゃいけないという、かわいそうな状況から鎌倉幕府が始まるのです。
また、これまで多くの建物を建てたが故の、京都・奈良近辺の木材不足や、
構造的にも、これまでの不安定なものを改善しなければならないなどの問題もありました。
新様式、導入!
お金がないのに大きな建物を建てなきゃいけないというピンチ。22世紀ならドラえもんに頼めますが、鎌倉幕府は12世紀。どうするのか。
鎌倉幕府はひらめきます。ドラえもんほどは頼りにならないけど、頼れるものかあるじゃないか。と。
それが当時日本より進んでいた隣の大陸国、宋の技術でした。
大きな建物を少ない部材で建てることができる宋の技術を得るため、何度か宋に人を送り、勉強させました。
そして完成した様式を大仏様といい、あの、奈良の大仏がある東大寺の南大門などを建築しました。
まとめ
こんかいのまとめ
- 戦で焼失した大寺院の復興が重要な課題であった
- 戦の直後でお金が少なかった
- 大規模な建物を少ない部材で安定して建てられる宋の様式(大仏様)を勉強した
こんな感じですかねー
ちなみに、大仏様は水平材(横材)を用いることで構造を安定させたのですが、これはけっこう安定するのでDIYとかに応用してます笑
以上でーす
寺院建築の歴史①~⑤まとめ↓