戦略とか、作戦とかを立てられる人っていつの時代でも活躍できそうだなー、カッコいいなー。
どうも、将棋とか全然意味わかんない派代表、ノスクちゃんです。
ホトトギス系三英傑の城シリーズ、第三弾でございます。
他2つはコチラになりますので、あわせて見てみてください↓
見てない方のために説明すると、信長と秀吉はどちらも権力を見せつけることを目的とした絢爛豪華な城を築きます。
このような派手な城を総じて織豊系城郭といい、これまで城には使えなかった瓦や石垣などの権限を握り、城に採用するなどして権力を誇示してきました。
その中で秀吉は、地域的な城のネットワークを築き上げ、遠方の地域にも権力をアピールしていました。
いわば秀吉は、信長の革命的な築城理念を受け継ぎつつ、アレンジを加えた築城戦略をとっていました。
さて、この2人の城づくりを踏まえて、家康がとった築城作戦とはどのようなものなのか。見ていきましょう
合理的な江戸時代の城
江戸時代的な城のはじまりと言われているのが、藤堂高虎が築いた今治城(愛媛)です。この今治城は、これまでの織豊系城郭とは異なり、合理的で機能性を重視した新たな城でありました。
いち早く政権を握り、安泰な時代にしたい家康は、余計なものを排除した、早く、安く築けるこの合理的な今治城を大変気に入り、江戸時代の城郭の標準形式として採用しました。
つまり家康は、織豊系城郭とは逆の理念で城を築いていったのです。
このことにより、早く安く城を築けたこと以外にもメリットがありました。
それは一斉に築けたことと使いやすかったこと
規格化された徳川の城は、ムダも少なく、織豊系城郭のときの金箔瓦のような特殊なものもなかったので、一斉に築城を進めることができました。そうすることで、城郭のネットワークが即座にでき、地理的優位に立つことができたのです。
また、規格化されて築かれた城は、マニュアルがあればだれでも使うことができ、実用上の問題も非常に少なかったと言われています。
早急なネットワークの構築
規格化によって築かれる徳川の城は、非常に早く、安く、多く建てることができました。
このとき構築したのが、大阪城を取り囲むように築いた大阪包囲網でした。
京都、滋賀、兵庫、静岡、愛知、岐阜と、周辺地域の築城や既存の城の改修を効率的に行い、徳川本陣となる名古屋城の築城を総仕上げとしました。
まとめ
今回のまとめです
- 織豊系城郭とは逆の効率的でムダのない築城
- 規格化により、早く、安く、使いやすい徳川の城
- 効率的な築城による大阪包囲網のネットワーク作り
以上でーす
前回の2つ、あわせて見てみてください↓
出典↓(コレを参考に勉強しました)
図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて (サイエンス・アイ新書)