【ざっくり】お城の歴史① 〈弥生~鎌倉編〉

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歴史

スポーツは何か一つを専門にするよりも、似たような動きや似たような筋肉を使うスポーツを複数経験したほうが上達が早いことをスポーツをやめてから知りました。悔しいです

どうも、毎度本編とは関係のない挨拶をしています。ノスクちゃんです

大学での研究内容は”社寺建築”なのですが、似たような分野を学びたいなと思い、ただいまお城についても勉強中です。

専門分野じゃないので参考にした本を紹介しときます↓

図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて (サイエンス・アイ新書)

というわけで、歴史的変遷。やっていきまーす

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城のはじまり

みなさんがお城と言って思い浮かべるのは、やはり戦国時代のお城ですよね。

大阪城とか安土城とか。

なので、お城のはじまりも戦国時代の少し前くらいかなーと思っていました。

ところがどっこい

お城の始まりは弥生時代集落までさかのぼります。人々は外部からの侵入に対する防御のため、集落のまわりを堀で囲み、柵を設置しました。このような集落を環濠集落と呼び、弥生時代の始まりとともにこのような集落ができてきます。弥生時代はその後徐々に防御の技術が進んでいきます

日本城郭協会によると、弥生時代後期の吉野ケ里遺跡が城の起源とされています。

朝鮮式、古代山城

飛鳥時代、大和朝廷の成立により宮城の造営され、中国の都城制の影響を受けた日本初の都城へ発展します。

また大和朝廷は、白村江の戦に敗れたのをきっかけに唐・新羅の侵入を恐れ、大宰府の防衛を強化する城である古代山城を築きます。

古代山城とは、谷を囲むように石塁や土塁をめぐらせた山城で、朝鮮半島の築城法が取り入れられました。

城が軍事施設に

南北朝時代、千早城の戦いを機に城が軍事施設化します。千早城の戦いとは、初の大規模な”籠城戦”で、城は戦いの場という認識が広がり、発展していきます。

このころの戦は、馬に乗り弓矢で攻撃をするのが主流だったため、対策として馬が上がってこられないような急勾配の山上寺院を利用していました。ただ、政治や経済の拠点としては不向きであったため、室町時代にはこのような形のものはなくなります

まとめ

弥生から鎌倉までの城の変遷をまとめると

  • はじまりは集落のまわりの堀や柵
  • 飛鳥時代は外国からの技術も取り入れていた
  • 南北朝時代には軍事施設として

こんなところですかねー。次からは戦国時代です~

次回はコチラ↓

↓①~⑤

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