書く内容は決まっているのに最初の挨拶が思い浮かばず、1時間ほどYouTubeに逃げてました。世界は楽しいコンテンツに溢れてますね
どうも、”得意なことは正当化”ノスクちゃんです
今回はお城シリーズの番外編です
この前、「お城の歴史は安土城を境に中世と近世に分かれるよ!」というのを書きました(詳しくは↓)
お城の歴史において安土城は非常に重要な位置づけとなるのですが、
具体的にどんなことがそれまでと違ったの?
というところを解説していきます
絢爛豪華な佇まい
安土城以前のお城の役割は”軍事施設”でした。戦に勝つため、敵に対抗する防御を高めた実用的な役割が大きかったのです。
それを一変させたのが織田信長でした。信長がつくった安土城は絢爛豪華な佇まいで、実用的な役割に加えて象徴としての役割をもつお城が完成しました。
象徴としてのお城は権力の誇示を目的としており、安土城以降の、近世の城郭の常識となっていきます
安土城の特徴
- 日本初の天守
- 屋根の上に黄金の鯱(シャチ)
- 城専用瓦と金箔瓦
- 極彩色の柱や壁
- 超高級な黒漆の仕上げ
- 内部にも有名な絵師による障壁画
と、これまでの城にはなかった独自の特徴が多々あります
特に、瓦葺は、これまでは寺院に限られた特権で、それまでのお城は板葺が普通でした。
また、石垣も、本来は石工職人に対して武士は命令を下す権限を持っていなかったので、これも特権。
つまり、城郭には使えなかった特権を掌握することによっても権力を誇示しました。
信長が安土城に至るまで
安土城は計画からわずか3年で完成したのですが、
信長は急にこのような革新的な城を建てたわけではありませんでした。
信長がはじめてイチから建てた城である小牧山城には石垣の存在が見られ、また、岐阜城には金箔瓦のが出土されています。
当時、城の主は一つの城で長く過ごすことが常識でした。そんな中で信長は、数年で引っ越すということをしていました。
その中で信長は、段階的に城を進化させながら試作をしていったということがわかります。
変化を恐れない姿勢が、日本の変革を起こしたのでしょう。
おわり
変化を恐れない信長から学ぶことは多そうですね
ぼくも数年おきに引っ越ししようかしら