中2のときに初めて大阪城をみて、「ここに住みてぇ!!」と叫んだことを鮮明に覚えています。
どうも、変り者ノスクちゃんです。
前回に引き続き、お城の移り変わりを見ていきたいと思います
前回はコチラ↓
専門分野じゃないので参考にした本を紹介しときます↓
図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて (サイエンス・アイ新書)
今回は戦国時代に入っていきます
戦国の城の重要な役割
前回詳しく話しましたが、鎌倉時代あたりから城は”軍事施設”としての役割をもって作られます。
戦国時代になると、軍事施設である城の需要が高まり、多くの城が至る所に建つようになります。この戦国の世の中が、城の実用性を向上させ、城を急速に進化させました。
また、城の主である戦国武将にとって、国の経営も大きな役割であったため、政治・経済の中心としての役割も、城が担うことになりました。政治・経済の拠点ということで、家臣が居住するスペースをはじめ、これまでよりも広い空間が必要になりました。
そこで、これまでの山上から、より空間を確保することができる山城へと変化していきます
戦国時代を生き抜く城を
軍事拠点としての城は、敵から侵入されにくいものへとなっていきます。あらゆる側面の敵に対応するため、地形や場所を生かしながらあらゆる工夫がなされました。
土塁を曲線にし、迷路のように通路を複雑化したり
桝形という四角形のスペースを、門と門の間に作り、直線を失くすとともに、四方にある櫓門から敵を囲んだり
地形に合わせた堀を二重にも三重にも設置し、侵入を遮断したり。
こうして建てられた戦国時代の城は3~4万にものぼります
織田信長による城郭革命
1576年に建てられた安土城。あの織田信長が主を務めた城郭は、当時の城郭の様式に革命をもたらしました。
16世紀中ごろに取り入れだした、石垣。安土城の周りはすべて高い石垣で囲まれていました。当時では最新で、日本で初の総石垣の城でした。
また、天守を取り付けたのも日本で初。今では当たり前ですが、当時はそのような概念がありませんでした。
また、城下町を形成し、商業の発展を図りました。もちろん日本初。
織田信長は、今までの実践的な城の役割に加えて、権力や財力を誇示するような象徴的な役割も付加しました。
城下町の設置によって、商業、経済、政治の拠点としても非常に大きな意味を持ち、当時の城の常識を一変しました。
この、安土城を境に、これ以前に建てられた城を中世城郭。これ以後に建てられた城を近世城郭と言います。この近世城郭が、いわゆる私たちが想像するような、石垣があって、天守があってという一般的な城の常識となります。安土城は、城の歴史における大きな分岐点となっています。
安土城について↓
まとめ
戦国時代のまとめ
- 実践的な防御技術の向上
- 政治・経済の拠点としての役割
- 山上から山城へ
- 織田信長による革命
こんな感じですかね
以上です~
↓次回はこちら
↓①~⑤