麻生財務大臣のコメントで「ハッピーセットは軽減税率適用」というのは子供にもわかりやすくて、図ってか図らずかはわからないけど自分の中では好印象だなあと思った昼下がりです
どうも、ノスクちゃんです。
※挨拶と本文の内容には全く関係がありません
↑ちょい前に寺院建築の歴史について書いたのですが、建物や空間などのいわゆる建築様式について全く触れていなかったので新しく「建築様式」のシリーズを始めます。
(例のごとくノスクちゃんは”続かない”で有名ですので、①とはなっていますがその先続くかはわかりません。あらかじめご了承よろちゃん)
では、参る
飛鳥様式っていつの様式?
飛鳥様式は、日本における仏教建築の中で最初の様式となります。マンガで例えると「第一話」ですねー
ということは、仏教建築の始まりが飛鳥様式の始まりとなります。西暦で言うと6世紀後半くらいからということになります。
飛鳥様式ってどんな様式?
仏教が日本に来たのは6世紀後半。インドから中国地方を経由して朝鮮半島から日本にやってきました。飛鳥様式は仏教が伝来されたときの様式ですので、中国大陸の様式がそのまま飛鳥様式となっています。
もっというと、当時はネットなどはないので、中国大陸から様式が伝わるのに長い時間がかかります。そのため、正確には当時より少し古い中国大陸の様式が飛鳥様式です。また、飛鳥様式は仏教が伝来された当初は、朝鮮から大工さんを呼び寄せて寺院を建築していました。
飛鳥様式具体的な特徴は?
ここからは、飛鳥様式の様子が見られる法隆寺の独特な特徴を箇条書きしていきます
・雲形斗栱 雲のような彫刻が入った斗栱
・胴張り 真ん中が膨らんだ形の柱。 当時は構造的な技術が発達していなかったので、柱が太かった。 海外でも「エンタシス」という名の同じような柱が古い建築物には存在する
・人字形割束 人のような形になっている束。高欄などに使われている。
エンディング
飛鳥様式は6世紀後半~7世紀の様式で、古すぎて対象建物が少ないため、わかっていないことも多いと思われます。というのも、飛鳥時代の寺院建築は現在残念ながら1棟も残ってないのです。それだけ昔ってことですね
次回からは唐様式(とうようしき)。奈良時代に遣唐使たちによってもたらされた唐の様式になります。お楽しみに~
次回↓