夏は北海道、冬は沖縄で過ごしたいです。
どうも、ノスクちゃんです
観光や旅行などをすると、お城に行く機会ってありますよね。わたしはあります。
「大きい~」とか「すご~い」とか「かっこいい~」とか様々な感想があるかと思いますが、
誰が?どんな目的で建てて?どんな工夫があって?どんな歴史を歩んできたのか?
ということを知ってから見たほうが、感想に深みが出そうですよね。出そうですよね?出そうじゃないですか?出ない?出ますよね?感想に深味。
まあ、出るとして、
でも勉強とかめんどくさいし、公式サイトに載ってる歴史とかって長いですよね
なので、簡単にまとめました。つーわけで、五稜郭、紹介します
まとめ図
文字を見るのがめんどくさい方はこの図を見て退場することをおすすめします。(最後まで読んで、お願い。)
手書きですんません汗
- 下が「原因と目的」
- 左右が「工夫」
- 上が「歴史」
です。
基本情報
ググってください。
住所とか、アクセスとか、見ごろとか、営業時間とかはググってください。
ググるのめんどくさい人は、下のURLを押してください。公式サイトに飛びます
それもめんどくさい人のために書いときます。住所だけ。
〒040-0001 北海道函館市五稜郭町43-9
なぜ五稜郭を建てた?
1864年に建てられた五稜郭は函館にあるわけなんですが、なぜ建てたのか。
発端は1853年のペリー来航です
黒船でペリーによって日本は開国し、日米和親条約を結ぶというのは有名ですよね。
このときに開港したのが下田と函館でした。
というわけで、外国とのやりとりをするため、函館にやりとりする場所を設けるわけなのですが。
そこからの外国からの攻撃を危惧します。
日本の銃や馬などと違い、外国は大砲で攻撃してくる。「これに対抗する要塞を建てなければならない」ということで建てたのが五稜郭なのです。
五稜郭の工夫
五稜郭といえば、きれいな星型が特徴的。五稜郭タワーに上ると、どれだけきれいな星型かわかると思います。是非。
五稜郭は外国からの攻撃に対する防御のためにつくられた唯一の城なので、他の日本の城郭とは少し違います。
大砲での攻撃を想定していたため、今までの日本城郭の技術では意味がないということで、ヨーロッパの技術を参考にします。
五角形の頂点に陵堡と呼ばれるスペース。周りを土塁、石垣、水堀で囲った星形の西洋式城郭。
設計したのは武田斐三郎(あやさぶろう)という人物で、蘭学者でした。
五稜郭のその後
外国からの攻撃に備えて建てられた五稜郭ですが、皮肉なことに国内での戦争の地となってしまいます
その戦争が、「戊辰戦争」。新政府軍と旧幕府軍による戦いで、五稜郭建立からわずか数年後のことでした。
旧幕府軍が五稜郭に立てこもり、新政府軍が攻撃。結局幕府軍が降伏したことで戊辰戦争の幕が閉じました。
再びのまとめ
というわけでこんな感じ。
個人的な願いですが、五稜郭の星型はほんとに正確できれいで美しいので一度は見てほしい!武田斐三郎さんの努力を知ってほしい!!
です。
以上です~
参考文献↓
図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて (サイエンス・アイ新書)