どうも、ノスクです
今回は「寺院建築の歴史③」です(↓②はこちら)
前回は奈良時代の寺院建築ということで、南都六宗について紹介しました。
↓前回のまとめ
- 遣唐使により唐との交流が盛んに。学問や文化などを導入。
- 南都六宗の導入
奈良時代が終わり、平安時代に入るとともに南都六宗が衰退していきます。そして、新たに密教の寺院の時代が到来してきます。
密教って?
みなさん、最澄と空海は覚えていますか?
日本史とかに登場してきたので、聞いたことあったり覚えている人も多いのではないでしょうか。
最澄が天台宗を、空海が真言宗を、それぞれ開きました
なぜ、密教の話でこの二人が出てくるのか、、
そうです、密教とは、最澄や空海が開いた宗派のことを言います
密教、どんな宗派?
前回出てきた南都六宗は、今で言うと宗派というより学派の意に近く、1人が様々な宗派を兼ねていることも多かったのに対して、
密教は山にこもって修行をする宗派です。行為、言葉、精神など、己の行いを正し、その身で成仏することを目的としています。
密教の寺院の特徴
寺院としての主な特徴はこちら↓
- 山に建てる
- 内と外に厳重な境界
- 内部が内陣・外陣に分けられている
外と中との境界に重きをおいている宗派ということもあり、山にこもって修行するために山の上や中腹に建てています。
山の地形に合わせて寺院を建てていたので、今までのような四角形の伽藍(平面)配置というわけにはいかず、伽藍が整然としていないのも特徴です。
内陣外陣というのは、建物内部を建具などによって二つに分けることです
内陣(奥)のほうが位が高いのは、現代の上座下座の上下関係と似ていますね
また、真言宗の寺院では、多宝塔という建物が建てられているのも特徴で、多宝塔があったら真言宗の寺院と思ってまず間違いないそうです
まとめ
まとめるとこんな感じ↓
- 最澄と空海が密教という仏教宗派を広める
- 密教とは、山上にお寺を建ててそこで修行をし、悟りを開くとうい仏教
- 山上にお寺が建てられるため、これまでのような整然とした伽藍ではなくなる
- 内と外に厳重な境界を敷く宗派で、お堂は内陣と外陣に分けられる
- 多宝塔が特徴
平安時代前期は密教の時代となりましたが、後期になると唐の文化である密教は衰退していき、新たな宗派が生まれていきます。
そんな平安後期の話はまた次回~。
次回はコチラ↓
寺院建築の歴史①~⑤まとめ↓