口内炎がとても痛いです。昔の人も口内炎に悩まされてたんですかね。気になるので誰か研究してください。
どうも、他力本願野郎、ノスクです。
歴史に関する資料を見てると、研究者の頭脳と努力に感服するばかりです。
そんな研究者の努力を少しでも広めたくて、かる〜く、ゆる〜く、わかりやす〜く、寺院建築の歴史を紹介したいと思います。これが寺院建築を知る1つのキッカケになるようにやっていきます。
そもそもお寺って?
歴史を学ぶ前に前提として、そもそもお寺(寺院)ってなんだ?ってところを定義?していきたいと思います。
言われてみればお寺って何の建物だ??
あんまり馴染みがない人もいるんじゃないかと思いますし、ぼくもこの間まで全然知らなかったです。
辞書によると、
仏を祀(まつ)り、僧が集居して仏道の修業をする施設
『建築大辞典』
つまり仏教の建物ですね。
キリスト教でいう協会のような感じですね(ちょっと違うかも)
仏教は様々な宗派がありますが、どれも目的は「ブッダになること。」
そのための修行や学問を行い、仏をまつる建物が寺院です。
日本で有名な寺院をあげると、古いのだと法隆寺とか薬師寺とか、他にもたくさんあります。
仏教はいつどこで生まれたの?
お寺・寺院は仏教の建物だとわかりました。となると、寺院の歴史のはじまりを知るには仏教を知らなきゃですね。
では問題、仏教はどこで生まれたのでしょうか?
これはなんとなくイメージできると思いますが、
正解はインドです
もっと場所を絞ると、迦毘羅(かびら)城のあたりで生まれたと言われていますが、まあ、インドでいいでしょう笑
では、始まったのはいつ頃か?
これはけっこう昔で、紀元前5〜6世紀頃だと言われています
キリスト教よりも前に生まれてたんですね〜
昔すぎて詳細な時代はわからず、“※諸説あり”ってやつですね
仏教が日本に来たのはいつ?
じゃあ、インドで生まれた仏教はいつどのようにして日本に来たのか?
答えは6世紀半ば。西暦552年頃です。時代でいうと飛鳥時代
けっこう昔だなぁ、と思うかもしれませんが思い出してください。仏教が生まれたのは紀元前5〜6世紀。日本に来るまでに1000年以上かかっています
航海技術がそんなに発達してない時代にインドから日本に仏教を伝えようとすると、中国や朝鮮半島を経由しなきゃいけません。
インドで生まれた仏教は中国や朝鮮半島で少しずつ形を変えながら日本に来たんですね。
寺院のはじまり
では、仏教が日本に伝わったところで本題、寺院建築の始まりです。と言いたいところですが、、、
仏教が朝鮮半島の百済(くだら)という地域から伝わったときは、実はまだ寺院建築の技術は伝わってなくて
寺院建築の技術が伝わったのは仏教が伝わってから約20年後です。
577年くらいに、これも朝鮮半島から、仏工、造寺工が伝来します。いわゆる寺院建築の技術師です。
その後、日本に仏教が広まり出した西暦587年、蘇我氏と物部氏による仏教受容をめぐる戦いで、仏教受容側の蘇我氏が勝利。
曽我氏「寺院を建てたい!」
と言って建てたのが、日本で初めての本格的な寺院と言われている飛鳥寺です
これを皮切りに、聖徳太子によって四天王寺、法隆寺など多くの寺院が建てられ、100年足らずで46もの寺院が建てられます。
この時代に建てられた寺院を飛鳥様式といいます。
日本独自の進化
飛鳥様式の中でも、時代が進むにつれて変化をしていきます
↓コチラは最初のお寺、飛鳥寺の伽藍(がらん)(上から見た図)です
塔が真ん中にあって、三方を堂が囲む伽藍(がらん)
↓次は四天王寺。門・塔・金堂・講堂が一直線に並んでいる。
ここまでの2つは飛鳥時代でも古い建物ですが、伽藍(がらん)が左右対称になっている。
で、↓次のが法隆寺
法隆寺は左右対称ではないですよね。
左右対称の伽藍は朝鮮半島からの様式です。
左右非対称の伽藍は、日本で独自に発展した様式なのです。
まとめ
まとめです~
- 寺院とは仏教の建物
- 紀元前5~6世紀にインドで発祥
- 日本に仏教が来たのは6世紀半ば、朝鮮半島から
- 仏教受容をめぐる戦いを経て仏教や寺院が発展
- 伽藍が左右対称から非対称に
こんな感じです~
また次回〜
↓次回はコチラ
寺院建築の歴史①~⑤まとめ↓